介護の新しいかたち

両親の面倒を見ることが当たり前だった時代

少し前の日本では、親が倒れたら子どもやその嫁が面倒を見ることが当たり前とされていました。
しかし、それは男性が働いてお金を稼ぎ、女性が専業主婦になって家庭を守っていた時代の家族のかたちが元になった習慣だったのです。

今のような核家族ではなく、「家」があって長男は結婚してもその家にとどまって両親と一緒に生活をする。
長男の結婚相手は、自分だけがよそ者であるという厳しい環境のなかでどうにか折り合いをつけながらがんばる、というのが良くも悪くも長い間日本で続いてきた家族のかたちだったのです。

そのような家庭において、両親が年老いて倒れた時に面倒をみるのは同居している長男の嫁、ということになります。
また、その家に娘がいれば、娘が手伝いに来てくれるというケースもあったでしょう。

いずれにしても、年老いた家族の面倒は家族が見ることが「常識」だったのです。

しかし、それから時代が変わり、長男が両親と同居をする機会も少なくなりました。
また、夫婦共働きが当たり前になったことで、現実的に介護が難しい状況も増えてきました。

その分、親の介護をしない子どもを「冷たい」と非難する声もずいぶんうすれたように思います。
そのような時代にある今、無理をして介護をすることは、かえっておたがいのためにならない場合もあるのです。

日本にはなぜか、「血縁」を異常に大切にする文化があり、「家族が一緒に暮らすことは何よりも幸せである」と信じ込んでいる人が多いのですが、それが嘘であることはニュースをみれば分かるでしょう。

無理してまで同居する必要性について

介護に疲れた子どもが高齢の親を殺した、または老老介護で将来を悲観した夫が認知症の妻を殺してしまった、子どもを大切に思えない母親が子どもに食事を与えず、子どもが衰弱死した、再婚した父親が子どもに暴力をふるって殺してしまった・・・そのようなニュースは、枚挙にいとまがありません。暗い雰囲気

それでも、「家族が同居することこそが幸せだ」といえるでしょうか?

もちろん、一緒に暮らすことで幸せを感じられる恵まれた家族もいることでしょう。

そういう人たちは同居をすればいいのです。
しかし、それがすべてではありません。

介護であれば、施設へ入ることや、グループホームで生活することも立派に選択肢のひとつとなります。
無理をして同居することよりも、その方が幸せな場合だってあるのです。

そんな新しい家族のかたち、新しい介護のかたちを選んでみるのは間違いではありませんよ。